name = 零
分類 = 大学生・専門学生
タイトル = 中学校3年間を不登校(時々、保健室登校)
体験談 =
自分は、中学校の3年間、学校に余り行きませんでした。
行ったとしても保健室登校で、教室には滅多に行きませんでした。
そんな中学校生活で辛かった事は、給食があるということでした。
給食があるということは、クラスごとの人数分用意されているということで、保健室で食べようにも、誰かに持ってきてもらうか、自分で取りに行くか、それとも教室で食べるか、の3つから選ばなくてはいけませんでした。
自分は、誰とも会いたくない。食事なんか1食くらい食べなくても平気だと思っていたのですが、先生や校長先生は「教室で食べよう」と何度も言うので、何度か教室で食べたりしました。
でも、ある日、担任の先生に連れられて教室に行ったとき、自分の机とロッカーを見て言葉も出ませんでした。
机は他の人たちから、やや離されているし、机の中には飴玉の袋などのお菓子のゴミがいっぱい。ロッカーは、他人が堂々と物を入れている。
まるで自分など、このクラスに初めから存在しないような扱いでした。
そういう環境の中で、クラスメイトは笑って「元気だった?」と訊くので、悔しくて悔しくて泣きそうでした。
ある奴は、「あ、自分、おったんじゃ。ごめ~ん、気づかんかったわ~」と言いながらニヤニヤと馬鹿にした口調で言ってきたりしました。
そのとき、その教室に担任の先生が居なかったら、自分はその相手をぶん殴っていたと思います。でも、先生は出来る限りのことを精一杯してくれていた良い先生だったので、ただ無言でその場を去りました。
色々とあった辛い出来事の中で、一番辛かったことは、≪自分には何も出来ない。無力な人間だ≫と思わされた瞬間でした。
認めて、逃げることしか出来なくて。悔しいけれども言い返せない自分が、無力で腹立たしくて。何で自分が存在しているんだと叫んだことさえありました。
何度も自殺を考えては、その意志を上回る虚脱感に襲われ、ただただ呼吸をし、生きているだけの中学時代でした。
高校は、出席日数の問題で普通高校に行けず(というか、クラスメイトたちと同じ場所には行きたくなかっただけですが)、定時制高校へとはいり、今は短大ですが、大学に通っています。
今思うと、これだけの苦しさや辛さを味わったからこそ、人として、同年代よりは、確実に成長していると思います。
どんなに馬鹿でもいい。どんなにつまらない人間でもいい。
生きて、誰かにその人生を伝えるだけでも、物凄い存在価値があることなんだと思います。
人と人の出会いは、お互いの人生を変えてしまうほどの、強烈なものだってあります。だから、その経験を生かしたことをすることが出来たら、自分は生きてきた甲斐があった、と思えるはずです。
自分は、そう思いながら歳を取って死にたいと思っています。
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