社会人編

中学校2.5年間

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name = 匿名Y
分類 = その他

体験談 =

私は、義務教育(中学校)は指導方針に疑問があり、行きませんでした。
「皆が同じ・皆で仲良く」と言いつつ「夢を持て」はあんまりです。

夢を叶えることは何かと戦うことと同じです。
たたかって結果が出るかもわかりません。
ですが、その過程では過去の出来事が糧となる場合もあります。
幼少の頃より、いじめられた経験があるからこそ、今の自分があると感じることさえもあります。


現在そのような環境で悩んでいる子がいれば「がんばれ」等というより
将来の為になる事をやらせてあげると嬉しいはず。
料理が好きな子ならパティシエになりたかったり、料理人だったり。
ファッションならばコーディネーターやメイクアーティストなど・・・
行けないかもしれない高校へ行くよりも、そちらを目指す方が本人のやる気は出るのでは無いでしょうか?

目的が見つかった人間ほど、頑張る生き物はいないと思います。

一意見として書かせていただきました。
今から仕事を頑張ります!!

name =
分類 = 社会人
タイトル = 中学時代に遅刻、欠席を繰り返し、300回を越しました。
体験談 =

いじめの始まりは、小学校4年生から。
原因は、体型や家庭のこと(貧しかったです)。
それでも、4年生の頃はまだよかった。5,6年を担任した女性教師が、いじめを助長するような行動、態度、差別をした為、それまで味方でいてくれた友人も離れていきました。

中学校は持ち上がりのようなもので、殆どが同じメンバーです。
教室に入るのが怖かった。
机の中に虫の死骸やゴミ、黒板に私の悪口が書いてあったり、私の掲示物が破られてたり、給食にはゴミ、消しゴムのかす。ありがちな、ノートに「死ね」と書かれる、カバンが破かれている。
そして、陰口に、無視・・・。
かばってくれる友人どころか、目も合わせてくれる人が居ないような環境で、私の居場所なんてドコにもありませんでした。

存在意義なんて見つけられないから、学校から自然と足が遠のきました。
当時共働きなので、昼間は両親が家に居ません。
近所の人に「学校に行ってない」って言われるのが嫌だったから、昼間からカーテン閉めて誰かが来ても居留守をしてました。

両親の前では、学校に行きたくないという事を決して言いませんでした。だから、仮病ばかり・・。

言わなかった理由は。。
今考えてみると、安息の場所である「家庭」でまで「問題児」扱いされたくなかったから。自分が我慢していれば家でまで辛い思いをしなくていいから。だから何も言いませんでした。

父は子供の頃からよく私を馬鹿にしていました。
「馬鹿」「ブス」「デブ」などと、自分の子供である私に言っていました。
今思うと、その言葉も自分に自信をなくさせる理由になったと思います。

母はあまり深く物事を考えない性格といいますか、よく言えば「あっけらかん」とした性格で、私が学校に行かないことを、さほど悩んでなかったと思います。

大人になって思うと、自分に自信がなく、言い返す勇気も無い、反撃が怖い、人の視線が怖い・・・。そんな理由で学校でも「暗い」イメージだったのかも知れません。逆に言えば、そんな性格からか、親を困らせるような非行は全くありませんでした。(万引きとか、深夜徘徊とか・・・)

元々勉強が好きではないし、学校にもまともに通わなかったので、いつも通知表は「5段階」で「1」ばかりでした。それに関しても両親は特に私を責めませんでした。「勉強しろ」といわれた記憶もあまり無かったように感じます。

勿論、そんな成績で、進学も出来るわけもなく・・・。最初は高校進学も諦めていました。
特に夢も無く、将来は一人でどこかに行って死んでしまいたい。って思ったこともありました。

先日、高校からの友人に、自分がいじめられていたことを告白しました。
友人は泣きながら聞いてくれて、最後に

「もし、私の子供がいじめられたら、どうしたらいいんだろう?○○ちゃん(私の事)はどうして欲しかった??」

と聞いてきました。

今思えば、私は両親に「私の事をどれだけ大切に思っているか」「私が家族にとって必要なのか」「焦らなくても、大丈夫。」そして、「信用できる大人もいる」って事を教えて欲しかったです。

私にとって、安息の場所であった家庭で、揺ぎ無い私の居場所と安心できる場所を提供して欲しかったです。

毎日「両親に学校に行っていないことを馬鹿にされるのではないか」「学校に行けと怒られるのではないか」「こんな私を必要としてくれているのだろうか」という心配をしながら生きていくことにとても疲れていたので、両親にはそう教えて欲しかった。


私はその後、中学の担任だった先生のお陰で、無事私立高校に進学することが出来ました。(あまりにも、遅刻、欠席が多かったので願書と一緒に「理由書」??のような書類も一緒に出したそうです)


高校に入り、すばらしい友人も出来て、「私が安心できる場所」ができました。「自分の居場所がある」ということがどれだけ素敵なことなのか、初めて知ることができました。
最初は暗かった私も、時が経つにつれ学級議長など人前に立って話をする事も苦ではなく、自分が興味のある事にどんどん進んで入っていくことが出来ました。

勉強も自然と楽しくなり、(といっても成績は下の上程度でしたが(笑))校風も良かったため、結果よりも、そこまでの過程の努力を認めてくれる学校でしたので、成績も良くなり、初めて通知表で「5」がついた時には涙を流して喜んだ記憶があります。

その頃、興味を持った「高齢者の施設のボランティア活動」が楽しくて、看護学校に進み、今は看護師をしています。

あの頃の記憶は、思い出すと今でも涙がでます。

「もっと、学校に行って色々な思い出を作っておけば良かった」

と後悔する時もあります。今もなお、あの頃の人見知りが今も続いて、なかなか新しい環境に馴染みづらい部分もあります。
小学校の頃の私をいじめたあの担任の先生が居なければ、中学時代にあそこまでいじめられる事もなかったかも知れない。と思うと悔しく思うことがあります。

でも、結果オーライです。
今、私は友達もたくさん出来て、必要としてくれる職場や仲間が居ます。
過去を振り返っても仕方が無いので、前を向いて歩くしかないんですよね。
今でも、辛いことがあると「あの時に比べたらいいじゃないか」「出口の無いトンネルはない」って思いながら頑張ってます。


今、いじめを受けている子供や、親御さんには、御傷心な事と思います。

でも、「絶対に自分を必要としてくれる人に出会えること」「今が苦しくても、絶対に出口があります。長いトンネルでも、その分出口に立った時に眩しいくらいに世界が明るく見える」って信じて乗り越えて欲しいですね。

暖かくて安心できる場所を親御さんには作ってあげて欲しいです。

name = eigo
分類 = 社会人
タイトル = 高校一年で不登校、ひきこもり。三年後に中退。大検取得後大学入学、卒業。
体験談 =

私は現在30歳の男性です。
現在は人材派遣会社に登録し、家電製品の販売の仕事をしています。

高校の進学校に入学しましたが、学校になじめず不登校になり、三年後には中退しました。その間高校には一回も行けず、家(部屋)でひきこもり、家族にも大変心労をかける三年間でした。
高校に入学するまでは、優等生とは言えないまでも学校の成績は水準以上で、特に学校や友人関係などで問題を起こすことはありませんでした。
それが進学校に入学したことで学内成績が落ちこぼれてしまい、挫折感を味わい不登校になりました。
家族はとても驚き、悲しみ、そして怒り、学校へと駆り立てましたが、どうしても学校に戻ることは出来ず、最後は家族との対立から部屋に籠城するように引きこもる生活が二年間続きました。

その間の、自分や家族の心労というのは筆舌に尽くしがたいものがあったと思います。
自分が家族であれば、とても耐えられなかったかもしれません。
自分も学校に行けない、家族に追い込まれることから二重に追い込まれ、一度は家族との言い合いの後家を飛び出し、自殺を決意して廃屋で遺書を涙を出しながら書いたこともあります。
三日間放浪して帰宅しましたが、そこからはなんとか家で引きこもりながらも家族と共存していくことが出来ました。
ちなみに、一度病院で診察させられたのですが、鬱病という診断でした。
しかし家族は、息子が鬱病であることを受け入れられず、特に治療も受けませんでした。

一番苦しかったことは家族とのあつれきで、一番救われたことは家族に最終的には受け入れてもらえたことです。また、遠方の友人と週に一回電話することも、すごくありがたかったです。

家族との共存の中で、仕事や学校の勉強などはしませんでしたが、家の家事の手伝いをするようになりました。
その後大検(当時)の存在を友人から聞いて知って、問題集を見たところ高校入試で受験勉強した身には非常に解きやすい問題ばかりで、これは取っておかないと損だと思い、翌年の大検を受験して、合格しました。
数年ぶりに頭を使って記憶したり、問題を解いたりするのは非常に新鮮な体験で、まるで乾燥した畑に水がしみこむような快感で知識が入っていき、自分も非常にアクティブになりました。
大検受験では、受験科目が多かったため予備校に行って勉強しました。

そして、その翌年から薬局でアルバイトに行くようになりました。
これは主に社会勉強というか、一度アルバイトを体験してみたいと思ったからです。自分で情報誌を使って調べ、面接に行って就業しました。
この頃には体調もよくなり、生活に支障はなくなっていました。
このアルバイト体験が、その後の進路に大きく影響しました。

アルバイトを経験して痛感したのは、学校で勉強していないことによる大きなハンデでした。
学校に行っていないことで、社会的コミュニケーション、常識的な知識、そして社会的な評価、さらにこれが一番大きかったのですが、自分の中のプライドのようなものが足りていませんでした。
社会で生きていくのに、学校での実績というのが絶対に必要になる。なかったら、今後人生ですごく不公平な目に遭う、と直感し、さらに職場先の先輩が大学入試のノウハウなどを教えてもらえたことから、大学入試を決意しました。

アルバイトをしながら大学受験の予備校に通い、大学入試に向けて勉強しました。大きかったのは親の応援で、一度リタイアした人間が大学に受かるなど半信半疑でしたが、自分では一年前に受けた大検の受験勉強での新鮮な知識体験がまだ残っており、毎日充実して勉強、アルバイトにいそしみました。
毎日知識を吸収して、それが自分の学力につながるのは非常に楽しかったです。
しかしやはり、親が予備校や生活など、全面的にバックアップしてくれたことが大きかったと思います。
なんの不安もなくがんばれた時期でした。

朝起きて予備校に行き、授業を受けて終わってからアルバイトをし、帰ってから寝るまでは勉強。
この毎日で、自分の眠っていた学力が目覚めていき(といっても、はじめの三ヶ月くらいはなかなか難しく、本当にがんばれたのは夏休みくらいからです)、翌年の三月には地元の大学には受かりませんでしたが、京都の立命館大学に合格することが出来ました。

以上が自分の不登校・ひきこもりから、大検を経て大学入学に至る体験談でした。
自分の頑張りというより、本当に親のがんばりというか、支援や、好きにさせてくれたこと、応援してくれたこと、受け入れてくれたことがここに至る大きな力になりました。
必要条件が支援、十分条件が自分のやる気、と言えるかもしれません。
高校での挫折感を消してくれたのが、大検の成功体験でした。
それが大学入試を目指すきっかけとなりました(元々、大検を取った後に大学に行こうなどとは全然思っていなかった)。

なお後日談として、その後も順風満帆な人生ではありません。
大学に入学して一人暮らしを始めてから一年後、鬱病の病気が再発し(原因は分かりません)、大学も行けなくなり、治療、自殺未遂や休学。
7年かけてやっと大学も卒業できました。
その間も親に迷惑をかけて、まだその恩返しは出来ていません。
大学生活は鬱病との戦いでした。それは今でも続いています。
ですが鬱病との付き合いも15年近くなり、自分の中では持病、一病息災と思ってこれからの人生付き合っていくつもりです。

挫折から、応援や受け入れから成功体験を導き、それが自信となって次のステップに進めた。
これが自分の『克服』体験でした。
自分ではなく、周りに克服させてもらった、というのが強い印象です。
コースから外れても、違うルートで上を目指せると思うと、人生にもすごく柔軟になれます。
もちろん大きなハンデや、損をすることも多いですが、なんとかならないことはない、くらいの気持ちで前向きにがんばれると思います。

以上長文になりましたが、今後『後輩』たちや、その周りの方の一助になれば幸いです。
失礼致しました。

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