中学・高校生編

中1の後半から不登校 ageha

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name = ageha
分類 = 中学生

体験談 =

私は現在中二です
一年の時は学校にいっていました
でも後半になると理由もなく休みがちになっていました。
それで今は学校に行っていません。
行きたいと思うことはあるのですが
みんなに会うと何か言われそうと思い行きたくなるなります。
担任の先生などが来たりしてはくれますが
私ははっきり言ってあまり来てほしくありません
親も心配してくれていることは分かるんですが
学校のことを言われると嫌な気持ちになります。
親は私と喧嘩をすると「学校も行かないで」など学校
のことを口にします。
そのたびに私は死にたい。と思います
リスカ「リストカット」もしたりしました。
私は学校に行っていませんが「友達」と呼べる友達がいます。
その中でも小学校6年の時に転校してきた子と仲良くなって中学も一緒です。
その子も休んだりはよくしてますが学校には行っています。
その子とは小学校の時から何でも話せる中です。
私は悩んでるときは長文のメールをくれたり
相談に乗ってくれます。
私は今の人たちの支えがあるから今生きていられるのだと思います。
私の家には私が小学校6年の時修学旅行から家に帰っている時
家の前にいた猫です。
飼い主がいないか探しましたが、いなかったので家で飼うことになりました。名前は「たま」と言います。
私は動物が大好きでした。何回も捨てられていた猫を拾ってきましたが
家では親がダメと言われ飼えませんでした。
でもたまを拾った時には台風が来ていたので家に少しだけ置いておく
と言うことになり、それから自然に家にいます。
私はたまが大好きです。
私はもしたまに命が半分あげれるならあげたいと思います。
私の命は半分になるけどその半分だけでも一緒にいられるなら十分だとも思います。たまがいてよかったと思います。
喧嘩もするし一緒に遊んだりすごく大事な家族です。
私はまだ14歳だしまだまだみんなといたいです。
親がいて姉ちゃんがいてたまがいて。
私はこの家族の元に生まれてよかったと心から思います。
つらいことはたくさんあるけどみんなが支えてくれます。
私は学校には行けないので市がやっている所に行こうと思います。
そこは無料で勉強を教えてくれるらしいので
少しは将来のためになると思います。
私は夢があります。
どんなにつらくてもいい。動物のためになる仕事がしたいんです。
お金なんかもいりません。
そんなところでボランティアなどができるように、そこに行こうと思います。
誰にだって夢・未来・将来があると思います。
私は少しでも夢に近づきたいとたまのおかげで思えるようになりました。

私が学校に行かない理由は、
他の人になんて思われるかが怖い
勉強もおいつけない
出来上がったグループからなにか噂されそう
などです。


ここまでよんでくださってありがとうございます。

name = にゃむ
分類 = 高校生

体験談 =

私は友人関係が原因で不登校になりました。いじめられたり、仲間はずれにされたわけではありません。しかし、相手の調子のよさや、相手に募る不信感などの行き場のない気持ちを自身で消化することができず、学校に行けなくなりました。

最初は1番辛い時期でした。学校を休んで3日目位から、母が怒りました。私は理由を言わなかったし、ある程度の年頃だったので言いたくなかったから。しかし、理由も知らない母が心配して怒るのは当然で、一方で困惑もしているようでした。
ベッドから引きずりおろそうとされたこともありました。私は母の根気に負けて、理由を話しました。そうしないと、無理やりでも学校に連れて行かれそうだったので...

母は、私を理解してくれました。そしてそれからは無理に学校に行かせようとしなくなり、私のやりたいことをやらせてくれました。その気持ちが、私にとってはすごく嬉しくて、心の支えにもなりました。

私は新学期には学校に通うことを母と約束しました。多少の不安はあったけれども、固く決心しました。

たくさんの友人達が、私のことを笑顔で迎えてくれました。そして、前担任の先生がある友人との話し合いの場を設けてくださり、卒業までの期間を笑顔で過ごすことができました。

私はたくさんの方々の支えがあって、成長することができたのだとおもいます。


中学校に進学し、夏休みの課題作文でこの題材を書き、小さな賞をいただきました。

私は今年、憧れだった高校に入学しました。面接の時には、不登校だったという事実もはなしました。今、私はこの高校で生徒会役員を務めています。

自分がした、もしくは今している貴重な経験を、弱みやコンプレックスではなく、強みにしていってほしいと思います。

私はほんの一例ですが、1人で考えこむのだけは絶対にやめてください。あまりいい解決法は見つからないと思います。

そして、保護者の皆様。お子さんを、お子さん自身を認めてあげてください。親に信じてもらえないのはとても辛いです。
安心できるよう、支えてあげてください。


拙い文章ですが、読んでいただきありがとうございました。

name = どみな
分類 = 高校生
タイトル = 中3から卒業まで不登校だった
体験談 =

いじめの本質的なきっかけは、私がある人のテストの点を友達にいってしまったこと。

それと偶然の産物ですね

いろいろな事が重なって私のいた不良グループから追い出されました 

他の友達には気にするなといわれたりしてましたが、その不良グループに学校に行く度悪口等をされて、行きたくなくなりました

私自身、見た目とは裏腹に相当な小心者なので、とても耐えれなかった

会いたくない、誰とも・・・

そう毎日思ってた

親はそういうので休むのを許してくれない

だから、行く振りをしてゲーセンに行ったりして暇潰しをしたりして、毎日を過ごしていた

友達以外、わかってくれる人なんていなかった

一時期、自殺を計画していた時もあった

今だからいえる
ちなみに今は通信に通っています

絶対に、学校へ行くのを強制させないでほしい
キレないでほしい
体験した人にはわかる
本当につらかった

だが、だからといって甘えさせてもいけない
学校に行っていなくても、家で一緒に勉強したり、いろいろな場所に連れていってあげたり、何かを学ばせてあげたり・・・    
強制はだめ
いつも一緒にいて
やさしく、『つらかったね』って語りかけてあげて

name = 薫
分類 = その他
体験談 =

私は、小学校6年生の時に転換性障害という病気だと診断されました。
ストレスを体で発散しようとするので首から上だけがたまに痙攣していて病気のことがわかりました。
中学2年生になったとき体全体が痙攣するようになり、学校へ行きずらくなりました。
それでも友達が励ましてくれたりして、行くようにしていましたが、なんだかやはり恥ずかしい気持ちと、病気で精神的に辛くて行けなくなりました。
少しして、久しぶりに学校へ行きましたが、すぐに早退してしまい家に帰るとお母さんに「体裁が悪いけん最初から行くな」と言われました。
このときの母の言葉にあたしは子供ながら自分の子供より自分の体裁なんだなぁ...と思いました。
そのあと不登校の子のための学校に行ってみたりしましたが続きませんでした。
高校は答案用紙に名前を書けば受かるなんてみんなから言われていた高校に入学しましたがとうとう高校1年生の秋に救急車を呼ばれる騒ぎになり、母の言葉も気になって家から出られなくなりました。
でもなにもかもから解放されたおかげか、2年程するとだいぶよくなり、今はアルバイトと家事をする生活をしています。
でも学校をろくに通ってないので同世代よりも分からないことも多いと思います。
高校中退では取れない資格や就職先も多いのでちゃんと行っておけば良かったと思うこともありますが、あのとき無理をして今のような生活が一生出来なかったらと思うと後悔はありません。
今は友達もいて幸せなんだと思います。
なので学校が全てだとは思いませんがこれからの将来のため夜間高校に通うか高卒認定を目指して頑張ろうと思っています。
今出来なくても自分がやりたいと思う時には出来ると思います。
ひとりひとり違うペースで色んな人生があるからいいと今の私なら思う事ができます。
親から言われる言葉って子供からするとすごく大きいけど、悪いとばかりじゃなくいいこともすごく大きいです。
辛い時だからこそ温かい言葉が欲しかったと言うのが昔を振り返って親に思うことかもしれません。

12歳から15歳まで不登校

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name = 匿名
分類 = 高校生
タイトル = 12歳から15歳まで不登校
体験談 =

イジメられていた時は本当に辛かった。
教室へ入りたくなかったし、授業以外のときはトイレの個室で泣いてました。
それでもチャイムが鳴れば教室へ行かなければいけないと思い出てゆくのですが、廊下まで自分を悪く言う声が聞こえてきました。
こうして文章を打つのも辛い。肺や喉が締め付けられるみたいに苦しいです。
小5の間はそれでも我慢して、春休みが終わって6年になったら・・と思いましたがイジメは酷くなっただけでした。そうなるともう足が竦むようで、4階までの階段を上るのがとてもしんどかったです。
ある朝にもう我慢できず親の前で泣いてしまって(屈辱的でした)イジメられているとか、学校に行きたくない、とかいろいろを話しました。
母は最初はやはり抵抗があって、僕はひきずられて学校へ行きました。
後日、両親は先生へイジメのことを相談したようで、僕を交えて話したりもしました。
さいしょは先生もどうにか教室に行くようにと言っていましたがその内に保健室登校でも・・という事になってそれから1月が終わるころまで保健室へ登校しました。
その時の担任の先生が許容してくれる人でよかったと思います。本音はきっとイライラしてたんじゃないかと思いますが・・
保健室へ行くようになって朝はずいぶんと楽になりましたが、やはり学校にはクラスメイトが全ているわけで、その場に居るという苦痛は同じでした。
そのような状況の僕を母がカウンセリングを行うという男性のところへ連れて行くようになったのですが、男性は僕の話を聞かず母とばかり話をして僕には学校へいけ、楽しいよ、後悔するよ、とそればかりでした。
僕はこの人間関係の中にいる間はずっとイジメは続くと確信していました。
そんな時に新聞の広告欄に私立の中学校の入試案内がでていて、僕は私立へ行って違う人間関係を築けば上手くいくんじゃないか、と思いました。
そしてすぐに僕はそのことを両親に伝えました。それを了承してくれた両親は学校へ行って先生に相談してくれました。
そうして先生は近隣の私立中学校の資料を見せてくれました。僕はその中から他県の2校と両親が進める近くの1校を受験することになり、夏休みに入るころ家庭教師の先生に勉強を教わりました。
そして2校に合格しその内の1校に入学を決めました。僕はきっとイジメから逃れられると安心していました。
そして小学校の卒業式がありました。(そこへは僕は出席しませんでしたが。)
僕は中学校の制服の採寸に行ったり、学校の周りを見て回ったり凄く期待していました。
イジメられていたとかそんなことを放り出してワクワクして楽しみでした。
そうして入学の準備も済み、入学式の日がきました。
式で名前を呼ばれるのはとても緊張したけど、これから新しい友達ができるかなと楽しみでした。翌日から授業があり、僕は自分からキッカケを作らないと友達はできないかもと思い、一人に近寄って視線が合い、思いもよらず相手から話しかけてきてくれました。
その日からその人とトモダチになろう、とお互いに言い合いました。
ですが、その翌日登校すると高校生に悪口を言われていました。(中学から大学・専門学校まである学校なので)
12歳にしては僕の身長が高く、「背がたかけりゃいいもんじゃない」とか15人くらいで固まって僕を睨みつけてきました。
そしてその日から、クラスメイトにまで悪く言われるようになって、中学校生活2日目にして僕はまた以前と同じような状況になっていました。
以前にイジメがなければ、軽く受け流せそうな悪口でしたがその時の僕は神経が過敏になっていたのかもしれません。
そして、数日登校してそのまま卒業まで不登校でした。
その間、僕は毎日暗く、母には「みっともないから昼間に外へ出るな」と言われたり、嘆かれたりで本当にしんどかったです。死にたいと思っていました。
父に言わせると「死ぬなら人に見られないところで死ね。みっともない」ということでした。
そんな暗く、辛い3年間でしたが、卒業だってなったときに僕はダラダラと生きて死ねないくせに死にたいとか思う自分を奮い立たせて、生きるか死ぬか決めないといけないと思いました。
3年間を振り返ってやはり僕は死ねずに生きているのだから僕は生きるしかないんだ、と思いました。
そして、生きるならこのまま何もしないわけにはいかない。高校へ行くことも考えないといけないと思い、以前に主治医が言っていた通信制や定時制の高校を受験することに決めました。
通信制の高校は面接のみで入学できるので難なく入学することができました。
僕は入学するまでそこには事務的な他人に無関心な人ばかりが居ることを期待していました。
ですがそんなこともあるわけなくどこの学校でもそうであるようにグループを作り授業中も煩いほど喋る生徒。生徒に軽々しく関わる教師。
その時の僕はもうヒトと仲良くするとかそういった気持ちは微塵もありませんでした。
簡単に「アイツきもい」とか「死ねばいいのに、ってか死ね!」などと友人と喋るヒトを見てああ、ここも同じだと思いました。
入学した当初は学校へ行くとなると吐き気、頭痛、腹痛、体の震えなどがありましたが、入学して4年目になればずいぶんと慣れました。
僕の事を1%も知らないのに周りでゴタゴタと悪口を言うやつは必ず複数人で居るし、教師ももう僕には関わろうとも思わないみたいだし、
悪く言っている教師もいるみたいだし、僕は4年目を迎えるしこのまま卒業することのみを求めて学校へ行く決心をしました。
母はいまだにことことについて認めてないし、僕の感情の10%も知らないけれどそれでもかまわない。
こんな僕が卒業して社会で働けるのかもわからないし、自信も無いけど死ぬときまでただ何かをしているしかないと。
12歳のときに始まったイジメや不登校は僕をいまだに苦しめます。
眠れば夢でもヒトに馬鹿にされて笑われて、裏切られて。
今でも死にたい、消えたい・・と思います。
まだ何も克服していないけれど、今の自分がこんなに長い文章で自分の事を振り返られるようになったのだと思うと、それだけでも成長できているのかなと思います。
親にも他人にも期待されなくても、理解してもらえなくてもヒトは必ず死ぬんです。
死ねばどんなヒトも同じ。
どのように生きようとも死体はなにも違わないと思って自分を支えています。
イジメを軽んじないで、不登校になった子供に学校へ行けと強要しないで、じっくりと話を聞いてあげてください。
初めは無理でもそうしていれば、子供の自信になるはずです。
僕の父はあまり干渉せず自由放任で、母は耳を塞ぐ。
それは僕にとって、とても辛いことです。
実際、社会に出れば不登校だとか通信制の学校だとかが不利なのは明らかです。
それでも僕は自分なりに頑張っているつもりです。
学校へ行かず家にこもることが怠けているとか、みっともないとか、失敗作だとか、そんなふうに言われて自分に自信がもてるわけないでしょう。

入学して二か月で不登校

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name = 明日香
分類 = 中学生
タイトル = 入学して二か月で不登校
体験談 =

あたしはいじめにあっています。

入学した頃はみんなとも仲よくて

友達関係はすごくよかったんです。

しかし友達(以下H)とケンカをした次の日に

学校へ行くといつも

おはようと声をかけてくれてた友達(以下E)が

あたしを無視しました。

あたしは「えっ・・・」と思いました。

そのまま1限目が過ぎました。

そして2限目が体育でした。

更衣室は隣の教室なので移動です。

その時いつも話しかけてくれたEに無視されました。

そして体育の時2人1組でストレッチをしろ

と先生が言いました。

あたしは1人になりクラスであたしが嫌な人

とする事になってしまいました。

その子は障害が少しあって嫌われています。

あたしはしかたなく一緒にしました。

そしたら「うわっ・・キモ!」「明日香あいつとやってんで」

と色々言われ最悪でした。

そしてあたしは次の体育の時がらずっと見学してました。

体育が終わり教室に戻るとまた無視。

絶対先生は気づいてる。

ありえなかった。

先生まで気づかないフリなんて。

それからは暴言・暴力とひどくなりました。

時々あたしは授業に出ません。

どうせみんな先生が聞くと「サボりでーす!」

とか言ってんだろ。

そしてあたしは社会の先生に放課後、

何故か呼び出されました。

担任でもないのに・・・。

先生は「単刀直入に聞くがいじめられてるんじゃないか?」

そう聞いてきました。

あたしはあっさり「うん。」と答え

帰ろうとしました。

なのに先生はあたしの腕を掴んで

「帰るな。まだ話がある。」

と言って引き止めました。

あたしは思いっきり言いました。

「先生には関係ない!!関係のない先生が口出ししないで!なんで口出すの?」

気がつくとあたしはそう言い

跪き泣いていました。

すると先生が

「辛かったんだろ?確かに先生は明日香の担任ではないが1人の教師として生徒をいじめとか色々な事から守らなければならない。その気持ちはわかるだろ?」

あたしはコクンとうなづいた。

この時思った。

あたしの前に救いの手がある・・・。

先生は「明日香が学校へ来たくなければ来んかったらいい。親が反対するなら先生から言ったげるし。明日香は1人じゃない。」

そう言われてあたしは先生にしがみつき

大泣きしていた。

とりあえずその日は帰った。

そしてあたしは塾に行く前にお母さんにこう言った。

「あたし明日から学校に行かない。」

靴をはきながらそう言うとやっぱり反対された。

あたしは塾で電話を借り

先生に電話した。

「やっぱり反対されちゃった。」

そう言うと先生が

「明日1日我慢できるか?」

と言われ「うん。」

と言った。

次の日の放課後先生が家まで来てお母さんを

説得してくれた。

お母さんは「色々ご迷惑かけました。」

と言い家に入った。

あたしは先生に「なにかあったらまた相談しに来いや。」

そう言われあたしはコクンとうなづき家に入った。

あたしは早速お母さんになんで言わなかったと聞かれた。

あたしは答えずに部屋にとじこもった。

そのまま塾へ行き

心ここにあらず

みたいな感じで授業を受け

なにも頭に入らず

先生に当てられた時

たまにぼーっとしていて

わからなくて怒られて

そんな日々の繰り返し。

辛かった。

家に帰りたくない。

だからいつも遅くまで塾に残り

勉強していた。

ある日先生がつかつかとこっちに来て

こう言った・・・。

「いじめられてるんじゃないか?」

あたしはコクンとうなづいた。

「金曜日は7時30分に来い。」

と言われあたしは7時30分に塾へ行った。

すると先生がみんなに何か話している。

あたしは恐る恐る教室へ入った。

自分の座ってる席へ向かう時

友達だった(以下Y)子に

「ちくったな」

という顔で睨まれた。

あたしは怖かった。

とりあえず学校へは行かなくても

数学・英語・理科

は塾で教えてもらった。

しかし授業中に先生がみんなに笑ける

ような事をしてもあたしはただ1人

笑えない。

いや・・・むしろ笑う事が出来なくなった。

あたしの中から笑顔という文字が消えた。

今も学校には行ってません。

行けない状態です。

みなさん、もし自分がいじめにあったら

担任じゃなくてもいいから

身の周りの先生に相談してみてください。

救いの手が差し伸べるかもしれません・・・。

高校行かなくなってもう9ヶ月

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name = なる
分類 = 高校生
タイトル = 高校行かなくなってもう9ヶ月
体験談 =

私はあんまり高校に魅力を感じないまま進学した。
中学の頃は生徒会長や学級委員などをやっていて
すごく充実していた。
でも人間関係にとても悩んでいた。
影で悪口言われるのが怖くて仕方なかった。
いざ努力のかいあって偏差値もまあまあの高校に進学したけれど、
結局神経の方がもたなくて
最初の1ヶ月しか通えなかった。
今まで我慢し過ぎていたのがいけなかったらしい。
また、通っていた頃、
授業中に「こんな勉強をして何の意味が?」と卑屈な考えが頭をよぎった。
すごくすごくショックだった。
今までそんなことを考えずにひたすら勉強してきたから
思った瞬間は相当つらかった。
学校行かなくなって半年は勉強もろくにせず、
ダラダラと家に居た。
でも11月に高卒認定試験を受けてちょっと人生明るくなった。
8科目中6科目受かった。
やれば出来ると、少し自信がついた。
12月からはバイトも始めた。
別にお金ためてどうこうとかではなくて、
とりあえず社会勉強の一環として。
まだ不安続きの毎日だ。
今年の3月に中退しようと思う。
どうせ留年だし、もう一度やり直そうとは思わない。
大学行きたいともあんまり思わない。
就職はできることならしたいけれど、
まだ1人で生きて行く自信が無いし、
そもそも高校中退者を雇ってくれる職場なんて中々無い。
やりたいことはある。
すごい夢がある。
だから私はその夢を持ちながら、
冷静に生きてこうと思う。
もうつらい思いならいっぱいしたから
きっと私は大丈夫。

name = 匿名
分類 = 高校生
タイトル = 小学校6年生でいじめに遭い、中学1年から3年間不登校
体験談 =

私は、小学校6年生で同じ学年の女子全員に無視されるという「いじめ」に遭いました。
その中には、近所の友達や、親同士が高校時代からの親友なので赤ちゃんの頃から仲良くしていた「親友」や「幼馴染」もいました。
なぜ、私がそうなってしまったのか、原因なんて5年経った今でもわかりません。
きっと、ただ単に私が「ウザイ子」だったのだと思います。深い理由なんてないのだと考えます。
だって、私の場合に限らず、ほとんどのいじめ自体に深い理由が無いから。

6年生の間は、「中学生になれば他の小学校だった人と友達になれば前みたいに楽しい学校生活が送れる!」と希望を持って親にはいじめの事を言わずに、毎日毎日学校へ行っていました。
本当に私は頑張っていたと、胸を張っていえます。
しかし、中学校へ入学したのはいいのだけれど、同じ小学校だった人たちが私の変な噂を流し、結局私は、再びいじめの対象(というより、孤立)になってしまいました。

本当に一人になった私は学校を休むようになりました。
6年生の頃は「中学校」という希望があったから頑張れたけど、もう希望もなくなった私には頑張ることができなかったのです。
ここで、保健室登校や相談室と呼ばれる不登校の生徒専用の個室に登校するようになりました。

私は私をいじめた友達を憎む気持ちより、親への憎しみが大きかった。
中学校へ進学するときに私はみんなが行く公立中学校より、私立中学校への進学を希望していました。
その方が私をいじめていた子たちと離れられる最善の方法だと考えたからです。
でも、親の意見は「お金がかかるから公立へ行け」というものでした。
お母さんはいじめの存在に気づいていたのに経済的なことで私を公立へ入学させたのです。
娘がいじめから開放されることを思えば、私立の学費なんて安いとは思えなかったようです。

そして高校。
私は当然ながら出席日数や学力が足りなかったので、1番レベルの低い私立専修学校に入学しました。
ここでやっと、普通の学校生活が送れるようになりました。
でも、学費が高いので携帯代やお弁当代を稼ぐためにバイトを始めました。
バイトは楽しいです。学費や学力の嫌味を言う親から逃れられるから。
いつでも、どんなときでも最終的に私を苦しめてきたのは「いじめっこ」ではなく、「親」でした。

最期に今の私についてです。
今、高校2年生の私は生徒会長をするほどにまで変わりました。
学校代表でいろいろな行事にも参加させていただきました。
暗い性格で笑顔なんてなかった私が、今では笑顔でバイトで接客をしています。
でも、自分でも気づかないうちに「集団生活」で無理をしていたようで、最近になって学校へあまり行かなくなりました。
そこで私は全日制を辞め、単位制という週2日だけ登校して課題提出だけをするという通信制のようなコースにいこうと思いました。
しかし、親は反対します。
理由は中学入学のあの時と同じ「学費が高いから」です。
私は愕然としました。
「中学入学で私立にやっていればいじめなんかで苦しむ必要は無かったのに」と言っていたはずの親が、また同じ失敗を繰り返しています。

私は思います、不登校の最終的な原因は「親」だと。

高校一週間で中退

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name = ミン
分類 = その他
タイトル = 高校一週間で中退
体験談 =

中学での僕はいわゆる「優等生」でした。
成績はトップクラス、部活では四国代表、おまけに生徒会長と言う具合に・・
そして僕は、県内一二を争う進学校に進学しました。
でも、すぐに高校を辞めました。はっきり言って理由なんて分かりません。別にいじめられた訳でも、問題を起こした訳でもありません。
あえて一つ、理由として上げるなら、プレッシャーかな。


中学時代の事もあり、僕は入学式で新入生代表の挨拶をしました。
そして、クラスへ帰り先生は僕に「クラス委員」やらない??と、声をかけれました。放課後になると、多くの部活から誘いをうけました。僕は基本的に「はい」としか言えない性格です。そうやって、プレッシャーに押しつぶされていたのかもしれません。"優等生"である事のプレッシャーは想像以上に重く僕にのしかかりました。


矛盾になるかもしれませんが・・・
僕は、期待されるのは嫌いじゃなかった。何をあたえられてもやり遂げる自信はあった。もしかすると、本心では、自己を主張出来ない自分を嫌いになったのかもしれません。

そして、何もかも辞めたくなりました。
そして、辞めた。

親や先生には「いじめられた。」といって。

そうすると、学校側の態度は変わりました。急に腰が低くなりどうしても残ってくれと。今から考えると、学校の評判を下げたく無かったのかもしれません。どんなに美しく見えている所でも、裏があります。僕は、真っ白な生活を思い描きすぎていたのかもしれません。

学校を辞めてから、僕は高卒認定を取得、予備校に通っています。周りも、中退した人ばかりです。
でも、みんなと僕が決定的にちがうのは、僕が高校を辞めた理由を分からないこと。先生やみんなにもよく「何で辞めたの!?」と不思議そうに聞かれます。

話は変わりますが・・・・・
今の僕が考えること。
高校を辞めて良かった事などあまりありません。
周りのみんなは「酒、たばこ」といったものを口にしたりしています。でも僕は絶対にしない。しないのが当たり前だから。
高校を辞めると価値観が変わると考えていましたが、以外にも全く変わりませんでした。絶望、先の見えない迷路、答えのない問題、そんなことばが少し近くなったぐらいでしょうか。

僕はまだ高一の年齢です。楽しい高校生活へのあこがれが無いわけでもありません。友達とはしゃぎたいし、いい大学にも行きたいし、彼女だって。


頭の中はいつも沢山のことを思っています。これから僕の人生がどうなるか全く分からない。


まとまりの無い文章、大変失礼しました。これを読んでいただいて少しでも参考にしていただければ光栄です。

name = ミサ
分類 = 中学生
タイトル = 中一から中三まで、不登校からの脱出
体験談 =

2年前、中一の9月から不登校になりました。原因は自分でもはっきりしてなくて、学校に行くのが辛いとか、あの人が嫌って言うのはありました。
陸上部に入っていましたが、好きで入ったわけでもなく、苦手な友達に誘われて断れず、更には先輩が嫌だった記憶はありますが、それも主な原因の一つだったのかも...。とにかく行きたくなくなりました。
10月から11月の間に、友達の誘いで保健室登校を始めました。保健室の先生も優しく接してくれて、そこで自分の好きなこと...絵を描いたり本を読んだりして過ごしていました。
あるとき、担任の先生が、「そろそろ教室に出てみない?昼まででもいいし、自分の好きな時間とか、1時間だけでもイイよ?」と言ってくれたので、教室に入って授業を受け始めました。少しずつ授業に出る回数を増やして行き、一度は全部教室に入ることも出来ました。
しかし、何かが引っかかってしまい、まだ不登校になってしまいました。保健室にも行きたくないという気持ちが芽生え、以前よりも酷い状況になってしまい、3学期は一度も学校へは行くことができませんでした。
中学2年生になると、クラスが変わり、親友と呼べる人が全くいない、孤立状態となりました。昔から仲のいい男の子や、丁度その時に仲良くなった女の子がいましたが、全く学校には行けませんでした。それが4月から7月まで。その間、母親には「何で学校が嫌なん?」「早く行きなさい!」「今までも成績見てみる?」など、散々なことを言われ、毎日、ずっと毎日泣いている日々でした。正直のところ、その頃が一番辛かったです。
しかし、7月のある日、幼い頃大の親友だった女の子(以下Yちゃん)と、2年の最初に転校してきたMちゃんの友達(以下Sちゃん)と仲良くなり始め、その子達の誘い、自分の好きなものでもあった部活、美術部に入り、学校に居心地の良い場所をまた一つ得ました。更に、保健室から、学校には来れるけど、教室には入れない生徒達を迎えてくれる、ふれあい室というところに移り、そこで学校生活を送るようになりました。そこの先生も優しくて、教科の先生が時々やってきて、「このプリント、出来ればでイイから挑戦してみて」と言ってくれたりしてました。後、週に一度パソコン教室に行ってインターネットをしたり、週に2回図書室に下りたりして本を読んだり...周りの目も大丈夫になってきました。
勉強のほうは、一軒家で塾を開いているとこがあると聞き、そこへ2年の最初頃から通い始めました(対象は、中学年から中学3年まで)。人数は、当時私と、親友のMちゃん、その妹と、中三と中1の姉妹だけでした。(現在は私、Mちゃんと妹、中一の子の4人)
しかし、それでも教室へ入ることは出来ず仕舞いで、2年生は一度も教室へ入ることは出来ませんでした。
そして中学3年生となり、YちゃんとSちゃんと同じクラスになり、担任は美術部の顧問の先生となり、いい環境となったのですが、4月は教室へは入れず、先生やMちゃんたちに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
が、5月には修学旅行という大きな行事があります。もし行かなかったら、後悔するなぁと思い、今のうちに入ってみようかなと思うようになってきました。
ところが、グループはYちゃんとSちゃんと離れ離れになってしまい、私の班には、あまり喋ったことのない苦手な女の子(同じ小学校出身)二人。そして、男の子達に至っては、全くの初対面でした。きっとその男の子達も、背が小さくて冷たい人達なんだろうなぁと勝手に思い込んでしまい、本当に不安でした。(修学旅行は二泊三日で、奈良→京都→大阪となってました。)因みに、二日目の京都は、自分達の班(6人)だけで回ることになっていたので、一番不安な行事でした。
そして、4月の終わり、意を決して教室に入りました。(修学旅行の打ち合わせの授業2時間)休憩時間に入ったのですが、私の班には誰もいませんでした。休憩終わりのチャイムがなった時、「あ、ミサちゃん来たんだね!」と、同じグループの女の子が教室に入ってきて言ってくれました。そして、大分遅れた時に、一人の男の子が入ってきました。その人は私を見て固まっていました。私の隣の席の男の子、M君です。その後ろから、同じ班の二人、H君とO君が入ってきました。背の高い大人っぽい三人で、イメージとは全く違っていたのでびっくりしました。
そして、グループの皆は私に優しくしてくれて、少しずつ心を開くようになりました。
何度かその授業に出て、修学旅行当日を迎えました。それでも、やっぱり上手くやっていけるか不安でした。
すると、同じ班のM君が、「おはようございます!」といきなり挨拶してきて、それにつづいて「おはようミサさん!」「どーも!いい天気ですね!」とH君とO君も言ってきてくれて、ちょっとだけ不安がなくなりました。
そして、一番不安な京都。男子と女子が好き勝手に行動するんじゃないかなぁ...と思ってました。本当に今にも泣き出しそうな気持ちでした。
ところが、私が思っていたのとは全く逆で、皆勝手に行動することはなく、M君たちは、私にとっても優しく接してくれました。「何か買いたいものとかありますか?あったら言ってください」と、何故か敬語で色々と言ってくれたり、面白いことをして笑わせてくれたりして...。修学旅行で一番の思い出を作ってくれました。
3日目は自由行動で、大阪のユニバーサルスタジオジャパン。YちゃんやSちゃんと一緒に楽しみました。
お蔭で修学旅行は最高の思い出に残りました。得に京都のことがきっかけとなり、それから授業に出る回数が段々と増えてきました。
そして、不登校になってから2年後の9月。体育祭も皆で頑張って楽しい行事にしたのを決定打に、普通の通学生に戻ることができました。
正直、今でもときどき「ふれあい室にもどりたい」と思うことが何度かありますが、それも乗り越えていって、今ではとても楽しい学校生活を送ってします。とは言っても3年生は受験生です。私の内心等は状況的には可也不利な方ですが、それに挫けず、頑張っていきたいです!志望校は現在やっと決まりだしたところですが、M君やYちゃん達と一緒に頑張っています!

今、不登校で悩んでいる人がいるなら、周りの人...得に親や先生は、優しく接してあげてください。「何で学校に行かないの?行ってみて」とか言うのではなく、その子を信じてあげて、自分から言うのを、自分から学校へ行こうと決心するまで、待ってあげてください。優しく見守ってあげていてください。勿論、ずっと待ちっぱなしなわけにもいきません。自分に出来ることを少しずつやっていってあげてください。
志望校については、まず、周りにどんな高校があるのか行ってみたり、色々と情報を集めてください。とにかく、よ~く調べてください。どんなところなのか、どんな授業があるのか、交通はどうなのかなどなど...。

苦難も乗り越えれば笑い飛ばせる日がやってきます。
何があっても、諦めてはいけないことが、大切なんだと、皆に伝えたいです。

name = 史
分類 = 高校生
タイトル = 不登校、リストカット、自殺未遂。
体験談 =

あたしは、中学1年の10月から、だんだんと学校へ行くことが嫌になりました。
友達がいなかったわけでもなく、いじめがあったわけでもなく、1回の遅刻から、あたしの中学不登校生活は始まりました。
学校へ行かない間、なにもすることなく、すごく無駄な時間を過ごしていたと思います。
学校へ行っていれば今、こんな状況ではなかったんじゃないかと思うと、かなり後悔しています。
そして、明日からは・・・明日からは学校へ行こうと思うけれど、いざ次の日になると怖いのです。
1回の遅刻で、あたしは人と会うこと、学校の人に会うことが怖くなりました。
けれど、週1のペースで学校には行っていますした。
あたしは学校は好きです。
あたしが行けなかった理由。
学校がいやな理由はクラスです
教室に入ることがとても勇気のいることなのです。
そして3年の2学期まで、教室にやっぱり行けませんでした。

あたしは、3年の2学期から、学校へ毎日行くようになりました。
高校のために自分が行くと決めたからです。
そして、ぎりぎり高校に入学できました。

しかし、中学校生活を人と接せず過ごしたことから、コミニュケーション能力を忘れていました。
そのため、友達とうまくいかず、また、親元を離れていたことから、
『リストカット』をするようになりました。
そして、1度目の自殺未遂。

なんとかそのときは、学校に受け入れてもらいました。


そして、1年の2学期。
彼氏、友達、将来の悩みから2度目の大きな自殺未遂。


そのことがキッカケで高校を辞めさせられました。
あたしは、自分のしてきたことにめちゃくちゃ後悔してます。
正直、退学間もないので、いまだに辛いです。
だけど、がんばるしかないと思ってます。

「心の病」にかかって

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name = オフリボン
分類 = 高校生
タイトル = 「心の病」にかかって
体験談 =

高校1年。心の病にかかって行けなくなりましたが、4月から半年、学んだ事の多さを実感しています。

今、通って当たり前のように思われている(小、中、)高、大、社会人というこのルートを一回外れた先には、世の"裏"とでも言いましょうか、学校では絶対に学べない、経験できないことが沢山あります。

世では、「不登校」「引きこもり」「ニート」等負のカテゴリばかりが問題視されていますが、学校へただ何となく、流されて行っている所謂"最近の"学生に比べれば、行かずとも色々考え、成長しながら生きている人間の、どこに非難されるいわれがあるというのでしょうか。

この世の汚さ、醜さ、焦りや精神年齢と身体年齢の差異など、原因と思しき問題は多々ありますが、それでも私は、人として、輝くために日々闘っています。

同じ問題に直面し、また闘っている人々の大成を願ってやみません・・・。

name = さな
分類 = 高校生
タイトル = 中学から遅刻ばっかで、高校一年で授業は一度も受けてない(いちよう高校一年)
体験談 =

中学の頃から人の輪に入るのが苦手で、でも、高校生になったら変われると思ったし、友達がいたから今の学校に入りました。でも、やはり無理でした。友達からも「もう一回休んだら来れんし。」とか、みんなにとってはどうってことない一言だけど、私にとってはものすごい一言でした。それに、知らない人ばかりで怖かったです。あげくの果てに、家庭の環境も嫌になり、夜親が居ない時に出歩いています。
私は、もっと親と触れ合う時間がほしいです。もっと、たくさんの人たちと話がしたいです。私達の気持ち、分かってくれませんか?最初はとまどうかもしれません。でも、それでもいいので少しずつ理解してください。

高校1年の9月に中退

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name = ゆみ
分類 = その他
タイトル = 高校1年の9月に中退
体験談 =

小学校から中学までは普通に無視(友達は狭いグループの数人だけ)だったけど高校に入ってからまじめな性格が災いしちょうど偏差値52の高校だったためにヤンキーみたいな人が増えるラインだったのでそのヤンキーみたいな人たちに余裕ではぶにされショックのあまり中退(自分の顔のためだと思い自殺を考える。)
しかし入りなおした塾で意外に偏差値が上がり塾の下級生が親しくしてくれたために楽しくなってきてちょっと上位の専門高校に入学→1つ上で地味な性格のためクラスからの無視はあったけどいじめはなかったため座っていただけで卒業→その後猛勉強して受けた大学に落ち(理想が高かったため)専門学校に入るも1つ下の同級生全員(悔しいが認めてしまうほどの美人・聡明ぞろいだったのでなにも勝てるところがないと悟った。)に信じられないぐらいバカにされまたもや中退。(もう一応高卒資格も取ったしよいだろうと同時に自殺を考える。)思って工場で勤務しはじめるが楽しくも苦しい人間関係に圧迫感を感じ6ヶ月でリタイア。
その後精神分裂病を患い年金生活に入る。(卑屈ではあるが神様はいるのだと思った)
思えば精神分裂病の素因子が幼少のころから出ていたのだが普通に何でもこなすため両親は気が付かなかったらしい。
そして我慢に我慢を重ねた学校(集団)生活から逃避し現在年金が出ているうちに路頭に迷わない目的で貯蓄している。
いじめの問題で悩んでいる人は一度精神科を受診してほしいと思います。
うちの妹は何年もいじめを受けたけど(わたしよりひどい)ストレス耐性が強いためか(すぐ泣くのがよいのか)まるで問題・不登校をおこしたことがない。それなのに今も休まず元気で仕事に行っている。
私は軽い冗談でもショックを受けてしまうので本人のストレス耐性の問題もあるのだと思います。

中学1年生の不登校

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name = チョコ
分類 = 中学生
タイトル = 中学1年生の不登校
体験談 =

初めまして^^私は今中学1年生で現在不登校です。私は中学校生活になじめず嫌になって学校を休んでしまいました。それからずるずる休むようになってしまって。。。その時に私の友達が言ってくれたんです。「チョコ、今学校いけないとは思うけど、これから勉強もわからなくなってくるから学校にいこう!クラスの皆も部活のみんなももちろんうち達もチョコが来るのを待ってるけん♪」
その手紙を読んで私はとっても暖かい気持ちになりました。こんな私にこんなに暖かい言葉を言ってくれるなんてとっても嬉しくて涙がでそうでした。私はその友達の言葉に勇気づけられて学校にいきたいと思うときが増えていきました。でもまだ不登校なのですが。でもいつか絶対前みたいに楽しく学校生活が送れるようになってみせます!私は何回かそれを裏切ってしまったけど前に進んですく気持ちは忘れないようにしていきたいと思います。ここの皆の意見を見てみると友達が無視して相手にしてくれなくなったと書いていました。私の友達はこんな状態の私でも普通に話してくれてるということがとっても幸せなんだなぁと思います。自分の幸せの大きさを改めて感じました。「あたりまえ」と思っていたことは本当は奇跡なんだなと思いました。本当に友達は私の宝物です。そしてそんな友達を与えてくれた神様にありがとうございますと感謝しようと思いますw

中学二年に不登校

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name = 零時
分類 = 中学生
タイトル = 中学二年に不登校
体験談 =

今は中3になり、新しいクラスメイトと充実した日々を送っている。
私はついこの間まで不登校だった。
私はよく周りから「真面目」「頭がいい」「ガリ勉」などと言われ、そんな自分が嫌いだった。
真面目に勉強をしているのが不思議に思われるクラスにいたため、少し周りから反感を買っていた部分もあったのだろう。
元々目に病気を持っており、昨年末に手術をした。手術の事は仲の良かった友達にしか言ってなかったのに、どこから聞いたのか「整形」などと言われもした。
クラスにいた友達もどちらかというと自己主張が少なかったので、私の悩みを理解してくれる友達はクラスに居なかった。
とうとう私は1月末に不登校になった。
結局その日から2年の教室には入らなかった。
週2回くらい、スクールカウンセラーと話し、少し勉強をして帰っていた。
今でも時々「うわ、来とる」などと言われるが、今は気にせずに学校にいっている。
今では「不登校になってしまった」と考えずに、「不登校もいい経験だった」と割り切って生活をしている。

name = 田島
分類 = 高校生
タイトル = 小学校2年間不登校、中学校からの1年間登校拒絶
体験談 =

私は小学校5年の半ばから学校へ行っていませんでした。
何が嫌なのか、何が辛いのかわからない。でも何かが嫌で食事が摂れなくなり、入院を期に学校へ行かなくなりました。
小学校のときは大変担任の先生に心配していただいて、何かあるごとに1日だけでも来ないかと電話がかかってきました。その当時はそれ自体が鬱陶しく感じていましたが、今思えばとてもありがたかったです。
私は双子で、もう一人のほうと何かと張り合っていたのかもしれません。どうしても負けたくなくて、進学したいと思っていました。でもいまさら地元の中学には通いにくく、両親に頼んで私立中学を受験し、合格しました。
しかし、もともと勉強があまり得意ではないところに受験前に交通事故に遭い体力と記憶力がかなり落ちていたため続けることが難しくなり、結局地元の中学に2年の3学期に転校しました。地元の中学も3年の1学期からいけなくなりました。
私立中学にいたときから精神化受診をしていて、薬を常用していました。自傷行為もあり、そのこと自体が転校先の公立中学の校長先生によく思われていなかったのですが、私が学校で薬の過剰摂取とリストカットをしたことで一時的に登校をとめられました。妥当な措置だったと今は思っています。
でも、卒業まで「学校においで」といわれることはありませんでした。

一度母と学校へ行き、いつになったら登校してもいいのかと聞きに行ったとき、校長は校門に近づいて来る私と母をゴミを見るような目でにらみ、言われました。
「何で学校に来ないといけないんですか?何で家で1人で勉強していてはいけないのですか?」
私は涙しか出てきませんでした。母がいろいろ言ってくれたのですが適当にあしらわれて、最終的に「フリースクールへ行って下さい。学校には来ないで。」といわれて学校の中へ入っていきました。
その後家に電話がかかってきたようなのですが、そのときに「あんな子は精神病院に入れるべきだ。こんな生徒がうちの学校にいると世間にわかったらマスコミが押し寄せてくる。どうしても来たいんだったら毎朝母親が学校まで送りにきて教室には入らず保健室で自習してください。その後は2,3時間したら母親が迎えに来るのであれば学校に来たらいい」と言われ、私は今でもこの発言は問題なのではと思っています。
私の家庭は父が身体障害者で母が働いており朝送って2,3時間で迎えに来るなんてことはできなかったのです。そのことも知っていて出してきた条件なので、イコール「来るな」と言うことになってしまうのです。
いじめ加害者が登校停止措置をとられるようになる前のことです。しかも私は他人に危害を加えたわけではありません。でも迷惑をかけたことは事実なので一時的な登校停止措置は妥当だと思います。
それでも義務教育期間中は、大人には受けさせる義務が、子供には受ける権利があります。私はその権利を奪われました。
今、通信の高校に通っていますが、中3の基礎がまったくわかっていないため英語や数学など基礎が重要な教科にてこずっています。そのときいつも思うのは「あの時学校へいけていたら」

今は仕方ないと思って、みんなが3年なのが私は4年だっていい。中学3年の1年分遅くなったっていいと、基礎から選択して次の進学を目指しています。

リストカットなどの自傷行為がある生徒、精神化受診や薬の服用などは、今の社会を見る限りこれからもっと増えると思います。大人からしてみれば「子供の世界なんて」「子供の社会なんて」と思うかもしれませんが、ある点では大人の社会より厳しい環境にあることを知ってほしい。
自分の力ではどうにもならないこと(特に経済面)もからかいやいじめ、仲間はずれなどにつながっているのです。

もし、あの校長先生の考えが変わらないのであれば、また同じ考え方の先生がほかにもいるのであれば、こんな生徒は受け入れられない、こんな子は精神病院へ・・・と言っていたら私たちはどこへ行けばいいのでしょうか。

精神病院はその程度では受け入れてくれません。ほかにももっともっと大変な患者がいるからです。心療内科にしても内科にしてもフリースクールにしても数に限度があります。無限ではないのです。そしてついてくるのはお金の問題です。

私は幸い入院も通院も転校も何とかなる環境にいましたがみながみなそうではありません。

高校を卒業して何か資格を取ったら、昔の自分のような子供に何かできるようなそんな職業に就きたいです。そしていつか、このことを問題視してもらえるよう、また起こらないように叫び続けたい。

不登校から変わった自分

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name = ユウキ
分類 = 高校生
タイトル = 不登校から変わった自分
体験談 =

中学のとき、不登校になった。
それ以前も含めて、私はあらゆることに関して劣等感を抱いていた。
それでも一番つらかったのは、自分に貼られた『不登校』というレッテルだった。
去年高校生になって、やっとほんの少しずつ、自らが自らに貼ったレッテルを、はがしていけるようになった。
今の高校に入れたことは、本当に私の人生を変える出来事だった。

今は、自分が不登校になってよかったと思っている。
自分はめちゃくちゃ狭い世界で生きてたなあと、その世界から早く抜け出せてよかったなあと、心からそう思う。
もしあのまま耐え忍んで中学通い続けてたら、今も頑張ってたらって考えると怖くなる。

少なくとも私の通っていた中学は、ひとつの価値観が完成されていた。
その価値観に先生も染まっていたし、生徒にも押し付けられていた。
先生も生徒も、一個一個の人間なのに、価値観も性格も、持っている力も、生き方も、すべて違う人間が集まっているのに、先生はその学校が作り上げた価値観を持ってして、生徒と接してした。
合わない人間が出てくるのは、必然的なことだと思う。


そのことに私がようやく気づけたのは、つい最近のことだ。

もしも凄い抑圧的でスパルタな指導を受けてそれを耐え忍ぶことができたら、その達成感は分かりやすいし自身にもつながるやろうけど、でも自分で考えて自分で選んで自分で行動して、人のせいにもできひん状況でほんまに自分のやりたいことをやれたら、形はなくても私はそっちの方がよっぽど自身につながると思うし、この何がホントか分からん世の中にいつかは放り出されたとき、必要なのは後者の力やと思う。


これから私は初めての接客業に挑戦し始める。
またいっぱい苦しんで、泣くと思うけど、今の私には助けてくれる先生たちがいる。親に友達にも見せられなかった涙を、今は、先生の前なら自然に流せる。
一人じゃないから戦える。全くのネガティブでいつも無難な方を選んできた私が、今は勇気のいる方を選ぶようになった。
失敗も、「話せるネタができた!」と笑えるようになった。
これも全部、先生と友達のおかげ。
カウンセラーでもなければ、心理学をかじったこともない一人ひとりの人間。
正論じゃなく、自分の信念で向き合ってくれる先生。

最近一番お世話になっている先生からきたメールや、もらった言葉を紹介します。


【『うまく』生きようとするのではなく、『思い切り』生きて欲しい。

思い切り悩んで葛藤して苦しんで、思い切り休んでサボって、思い切り腹を立てて(時に思い切り腹をくくって:笑)、思い切り笑って、思い切り汗して、思い切り涙して、思い切り涙して、一生懸命生きて欲しいです。

今は焦らず、心と身体を休めながら、のんびり生きればいい。心からそう思います。

また余裕ができたら、思い切り汗したりもできるからね。】


【不登校は、逃げじゃないと思うよ。負けでもないと思う。
学校って、他人(ひと)がつくったもんやからね。確かに他人の価値観の中では負けかもしれん。
でも、苦しんで不登校になったその人自身にとっては、全然負けじゃないよ。
俺はむしろ、今の社会のおかしさにちゃんと反応できて、「よく逃げてきた!!」と思うよ(笑)。
それで、「よく自分の思いから逃げへんかったな。頑張ったな。」って思う。
ユウキさんが学校に行かなくなったことは、今の世の中に対する教訓やし、提起やで。
しょうもない損得とか体裁に大人が振り回されて、その大人に子供が振り回されてる。一番外にいる子供は、一番無力で、遠心力がかかってしんどいんや。
ほんまに大事なことが、どんどん見えなくなってる時代なんや。
新聞の本の広告みたらな、「しあわせになる法則」とか「東大生の育て方」とか、方法論ばっかりや。
アホかっちゅうねん(笑)。

ほんまはな、なにより今、ユウキさんが生きてることが、すばらしい。
ただそれが、ホンマに尊くて素晴らしいことなんや。
それだけで十分なんや。】

name =
分類 = 中学生
タイトル = いじめの克服に向かって自分がやったこと
体験談 =

 私は昔からよく嫌がらせをされていましたが、それがひどくなったのは中学生になってからです。
 一年生のとき、部活で同級生から無視され続けました。理由は、単純なことでした。そしてストレスがたまりはじめ、部活にいけなくなりました。髪の毛が抜け始め、スクールカウンセラーの方にも相談をしました。
 しかし、ほっとしたのもつかの間、二年になると、クラスでのいじめが始まりました。それがどんどん拡大して、学年中に広まりつつありました。それが三年の9月くらいまで続きました。それが本当に嫌で、耐え切れなくなり担任に相談しました。「学校には行きたくない」ということを話しました。するとその先生は、「無理して行かなくてもいいんだよ」と言ってくれて、その日から学年で対応してくださいました。するとその嫌がらせがその日からウソのようにどんどん少なくなり、いつの間にか消えました。欠席も10日ほどにおさまり、昔から仲のよかった友達は「変わったね」と言ってくれました。高校にも無事進学が決まりました。
 私の場合は、先生方に相談したことによって変わったと思います。でも、いじめは自分が感じた時に相談するのが一番だと思います。早めに相談したほうが、事も小さくで済むだろうし、自分へのダメージも少なくて済むからです。エスカレートしてからでは遅すぎます。

不登校だからわかった事

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name = 優華
分類 = 中学生
タイトル = 不登校だからわかった事
体験談 =

私は中1の3学期間+中2の3学期から卒業まで不登校でした。
中3からは適応指導教室という所に通ってました。
同級生を見るのも同じ学校の人を見るのも辛かったです。
そんな私も高校に受ける事が出来ました。
夜間の定時制ですが・・・

私が不登校になった理由は、イジメやシカトなどではありません。
被害妄想がひどく、影でひそひそ話をされてる気がして、視線も怖くなって、友達を信じる事が出来なくなり引きこもりました。
友達から「学校に来て」などメールが来てましたが、見るだけで凄く憂鬱になってました。
2年で復帰し最初は良かったです。
でも、やはり辛くなり現実逃避ばかりし引きこもりました。
親は何とかして行かそうとしてくれました。
でも、無理でした。
学校が無理ならと、適応指導教室を学校側から教えてもらい、
行きだしました。
私が行きだした時には生徒は私ともう1人の男子だったので
毎日行けてました。
しかし、だんだん人が増えてくるにつれ、辛いものがありました。
私は辛くなると引きこもっちゃうので、新しい子が増えたら、
1週間は引きこもってました。笑
適応指導教室に来る子達は私の苦手な子ばかり・・・
でも、今では皆仲良しです。

私はネットの本名もわからない人達に助けてもらいました。
誰も信じられない時、私の話を聞いてくれたのはネットの人でした。
誰も私の話をわかってくれない時に、わかってくれたのはネットの人でした。
私は思いました。
リアルに知ってる人に話すより、ネットの知らない人に話したほうがわかってくれるんや。って。

私は今は相談される側になってます。
不登校同士だから、わかる事がある。と思ったからです。

明日は高校の合格発表の日です。
受かるといいな。

長文&変な文があったらごめんなさい。

今も少しだけ不登校

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name = 田中
分類 = 中学生
タイトル = 今も少しだけ不登校
体験談 =

私は5年生の時に大きなクラスからのいじめがありました。
それは、今はなくなったと思い6年生から中1の三学期までしっかりといけました。なのに今いじめが再開されてます。私がいじめられてる理由は、4年生くらいからあるニキビです。
親がニキビ肌だったらしいのでなりやすい肌だったので毎日洗顔して、
ビタミン剤飲んだりしても治らなくて私も気持ち悪いと思ってたのが入学して男の子から集中的にいじめられその内容は、私と同じ専門部になったらだめとか私の机を蹴ったり、無視とか私物を1度捨てられたこともあります
私の机を触って汚い汚いといってクラスの人につけたりしていました。すごく怖くて少しのことでも怖くなってしまいました。部活もいじめでやめてしまいました。女子は、私がかわいくないので悪口を言ってました。 ある日お弁当の話になってたみたいで、○○嫌ーーーと私を見ていってきました。
無視していたら私以外の女の子で授業中手紙交換が始まってました。 あいにく先生は出張で、生徒だけの教室でした。私は知らないふりをしてるといきなり背後から消しカスがとんできてあたると後ろから『クスクス』と笑い声がしてきました。私は1人で耐えれなくなってしまい、いきなり出て行ってしまいました。そうすると皆が大きな声で笑ってました。一時は教室に帰れました。卒業式の準備のときまたいじめが再開してしまいました。それから私は、学校に行くものの教室前でとまってしまい、第2保健室に通ってます。2年になったら心機一転して再スタートするつもりです。 金曜日には少し勇気を出して学年MTと掃除は普通にでれました。私も普通がいいです。

name = ゆう
分類 = 高校生
タイトル = 高校一年生に半年以上不登校(継続中)
体験談 =

今となっては大分回復して、四月からはもう一度一年生として歩み始めようと思ってる高一です。
正直、大人は子供に期待をしすぎです。

きっと私/僕の息子/娘ならやってくれるだろう。
きっと私/僕の息子/娘ならできるだろう。

そんな期待を親は絶対にどこかしてしまいます。
それが私たち子供にとってどれだけのプレッシャーがかかるか、それはきっと不登校になってみないと大人はわかってくれないことでしょう。
それが一番辛かったです。できない自分に腹が立って、自分をどんどん追い込んでいって......。思い返すだけで辛いです。

四月から学校に復帰するに当たって、希望よりも不安なことの方が遥かに多いです。そこでもやはり私に対する大人の対応は影響してくると思います。

とにかく、大人にはもっと子供の気持ちになって接してほしいです。

name = かめ
分類 = 高校生
タイトル = 高2で学校に行かなくなり・・・
体験談 =

まさか自分が学校を辞める(高2の間は休学してました)とは
おもいもしませんでした。高校入学当初から学校にも周りの人にも
何も魅力を感じていなかったですけど。

学校生活を振り返ると、いい思い出は1つぐらいしかありません。
その1つは友達でも部活でもありません。
高1の頃(高1の2学期~)の成績がよかったことだけです。
せっかくの高校時代なのに・・・と悲しくなります。

中学のころはいつも笑っていて、周りにもたくさん友達がいて
楽しかったです。嫌なことももちろんありました。
でも中学の友達は今でも忘れられません。
なので、高校に親友と呼べる人がいないせいか、
中学と高校のギャップに悩み苦しみました。
学校の授業への不満(なんでこんな風に教えるの。もっと
生徒に興味を持たせるようにしてよ)、人付き合い、
個人的な事情(正直めんどくさいなと。学校に行くのが。
あとは、いっとき鬱っぽくなってしまい)?、家庭でのトラブル等
で辞めました。今思うとなんて高飛車なやつだったんだろうと
思います。学校を見下していたんです。わたし。
自分だけは周りよりも特別なんだと思い込んでいたんだと
思います。なので、不登校(休学の前)をしている間は
高認について調べたり、書店めぐりをしていました。

両親は、何日も学校に休むわたしを心配していましたが、
わたしが退学したいと言い出したら態度は豹変。
父とは普段会話をしないので(必要最低限のことしか)
泣きじゃくるわたしを見て、そんなに辛いなら
やめていいよと言ってくれました。
母は家でのトラブルもあったせいか、すごく怒りました。
というか相手にもされず・・・鬼よりも怖かったです。
ちなみに、2人には別々に話しました。先に母に相談を。
今では母の方がわかってくれています。父はその場の流れで
辞めていいよと言った感じです。
学校を辞めることは、正直後悔しています。少しですけど。

勉強が好きな人や忍耐力がある人はいいけど、
そうじゃない人は学校に行くことをすすめます。
よっぽど嫌じゃない限りは。。
学校に行ってれば、テストができなくても
座っていれば単位はもらえます。卒業できます。

でも中退しても、高認に受かって、大学にも
受かれば大丈夫ですよ。
夢や目標(なんでもいいとおもいます)があれば。
いっそ、早稲田でも目指しては?
中退したけど、がんばって勉強して入る人もいます。
学歴だけではなくて、ここまで自分はやったんだ!
集中できるんだ!努力したんだ!という充実感が
味わえるはずです。

やっぱり家族の存在は大きいです。
最初はフラフラしてても、見守ってあげてください。

バイトはした方がいいです。スーパーおすすめですよ。

中学三年に半年間不登校

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name = 梨香
分類 = 中学生
タイトル = 中学三年に半年間不登校
体験談 =

私は中学三年生の夏から学校に行かなくなりました。
原因は友達関係のもつれです。
始めは個人同士の喧嘩だったのですが、日が経つにつれてやじうまみたいにクラスの人達ほとんどがあっち側の味方についてしまい、とても学校に行けるような状態ではなかったです。
理由も何も分からずに、何も知らないで加担してる子もいたし、しかもそれは全員仲良くしてた友達だったのにショックを受けました。
結局、友達なんてものはすぐに裏切る存在なんだ、結局みんな強い方の味方につくんだ、とその時は本当に絶望的でした。
夏が終わり季節が変わっても学校には行く気になれませんでした。
その間にも私の携帯電話には「死ね」などの暴言が含まれる電話やメールが入ってきたりしていました。
私の家は両親は離婚していて、母親は心身を患っているので祖母の家で暮らしています。
祖母に最初その事を打ち明けたらその子達に注意すると言っていたのですが、それでうまくいくはずがないと悟ったので、時が過ぎるのを待ってなさいという結論になったのです。
ちなみに私の通っていた中学校は中高一貫教育の私立だったので、高校はエスカレータ式でした。
しかし、このままじゃ高校に行っても満足に授業も受けられないし、第一学校に行かれないのだから、と学校の担任に高校受験を薦められました。
始めのうちは、担任が面倒臭がって他の学校に行けと言っているのかなと思っていましたが、実際環境を変えたら友達も変わるし何より高校生活を楽しみたかったので受験を決めました。
そして、3月1日に発表があったのですが、見事都立高校に合格して新しい友達も出来ました。

現在不登校中の皆さん、諦めるのはまだ早いです。
私も何度も何度も死にたいと思ったことがありました。
だけど、これからの人生はまだまだ長いですし、いじめなどに遭ってる人はその人達を見返すつもりで頑張ってください。
頑張ればその先には友達や楽しい学校生活が待ってると思います。
どん底に落とされるのも友達、またどん底から救ってくれるのも友達なんですから。

最近1ヶ月だけ不登校

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name = はるか
分類 = 中学生
タイトル = 最近1ヶ月だけ不登校
体験談 =

今中2です。
3学期始まり、始業式以来1度も学校に行ってません。

それは理由がありました。
実は小学生からずっと悪口に耐えてきました。
それはずっと言われてたということです。
今でも続いています。
小学生の時はなぜか、「ゴリラ」や「チンパンヂー」って言われて。
訳も無く、軽く暴力的なことをされたこともありました。
中学に入ってからは、同じ事もいわれましたが・・・
「きもい」とか「死ねばいいのに」など余計に傷つく言葉に発展していきました。
その時私は何回も死にたいとおもいました。
でもなぜか実行は出来ませんでした・・・悪口を言われるのは嫌でした。
聞きたくない。
でも学校は行きたかった。友ダチと話したかったから。
でもその友ダチは私を裏切った。
裏でこそこそ私の悪口を言っているところを見かけてしまった。

2学期まで、私は我慢して行ったw
でも冬休みの間、ずっと悩んだ。そして不登校という考えを思いついた。
そして3学期。
約1ヶ月と2週間、不登校でした。

name = 匿名
分類 = その他
タイトル = 中学3年と高校3年で半年ほど不登校
体験談 =

私の場合は、自分が主な原因というわけではなく周りにも原因があったように思います。
というのも、友達と友達の間に板ばさみになり、自分の居場所をなくしてしまったのが一つの原因であるからです。(それ以外にもありますが)
いじめの経験は、小学校から高校まで経験があります。それほどひどいものではありませんでしたが、未だに心に残り自分の行動を制限してしまいます。

私の経験したいじめを簡単に言うと、以下のようになります。

小学生のころ:下校グループでリーダー格の子が自分のお気に入りを選び毎日ローテーションして仲間はずれをしていた。仲間はずれの内容はハブる子を後ろに歩かせて、前で自分の選んだ子と楽しい話をして盛り上がる、というようなことをしていました。(このころは不登校にならずちゃんと学校へ行っていました)


中学生のころ:私が何回もある男の子の呼びかけに気づかずにいたことが原因(?)による男子のいじめ。いじめの内容は給食中に大きな声で私の悪口を言うことでした。3年間続き、年が立つにつれ悪口を言う男子が増えていきました。(先生もその場にいましたが、あまり注意などはしませんでした。)

私が不登校になった原因はそのいじめだけではありません。
その頃は一緒に行動を共にする友達がちゃんといたので2年間通うことができました。しかし、3年生になったある日同じグループの子達が(私を含め3人グループ)私の取り合いのようなものになってしまい、グループが壊れてしまいました。

私以外の二人は学校に来なくなり、一緒にいてくれる友達がいなくなったので他のグループに混ぜてもらっていたのですが、そのグループの一人が私にやきもちをやいて仲間はずれ(私がグループに入れないよう私の話の邪魔をして、私と友達の間に立ち話しを取ったりなど)してきました。
きっとその子は私に友達をとられると思ったんでしょうね・・。一緒にいてくれる友達がいなくなり、1週間粘って登校しましたが男子の悪口もあり不登校になってしまいました。
不登校になった後、ちょくちょく顔を出しに行ったりはしたのですが、一人でいることに耐え切れず通えなくなり結局卒業式は別で行いました。


高校生のとき:高校は私の人生の中で一番いろんなことが起こった時期です・・。
当時友達だと思っていた子(Tさん)の好きな人が私に告白してきて、散々悩んだ挙句断ったのですが、Tさんに1週間毎日電話をされては嫌味を言われ、私の教室に毎日顔を出しては"悲劇のヒロイン"ぶって「今日は吐いた」とか「辛すぎて何も食べれない」などずっと言われたりしました。その子とは当然縁を切りましたが・・。

あと、ギャルのグループにいたのですが、一番中の良かった子がある日突然そっけなくなり、私とちゃんと話してくれなくなったりしました。その日から休み時間のほとんどを寝てすごし、一人ですごすようになりました。(その子は、ある一定期間で仲のいい子を取り替えていました。)
帰りは、中学のときの友達がいたのですが彼氏ができたり、自分のクラスの子と帰ったりなどしていて朝以外一緒にいることはなくなりました。なので、一年のときは昼休みと朝以外はほとんど一人で過ごしました。

二年のときは、クラスが新しくなりグループも変わったのですが、時々お昼を仲間はずれにされたりなどしました。(大切な話し合いがあるからごめんねと言われました。)他に話の会う子もいなかったので、そのときは一人でご飯を食べずに寝ていました。

二学期あたりに入ると、仲間はずれにされることもなく楽しく過ごせたのですが、三年になるとまたコソコソと仲間はずれにされたりなどしました。
私は総合学科という学科にいたので、自分で選ぶ科目が多かったのです。なので、グループの子にどこ行くのか聞いたところ教えてくれたのですが、空気(雰囲気)が微妙だったのであえて違う授業を多めにとりました。

1学期中間くらいから、このグループは壊れ始めました。
ずっと私は皆仲がいいものだと思ってたのですが、実はグループの仲で嫌いあってたのです。ある日突然、"話し合い"に呼ばれていったのですが、言われたのは「Eちゃんをハブろう」と言う話しでした。
皆、Eちゃんのことが嫌いだったそう